麻布一本松町









麻布一本松町あざぶ みやむらちょう(現・元麻布の一部)

江戸初期まで麻布の総鎮守である麻布氷川神社が暗闇坂と狸坂を挟む位置にあったので付いた名称。 江戸初期神社は、本村町に移転したが町名は残った。 又狸坂下から大隅坂までを、宮村新道という。代官支配から正徳3年(1713年)町奉行支配 になり府外から江戸に編入された。

文政の江戸町方書上、名主の栄太郎によると
  • 俗名藪下と申すわけ相知れ申さず候。もっとも宮村町一円に相唱え申し候。
  • 町内西の方を里俗に新道とも大隈山とも唱えし候。この義は、同所にお役名知れず渡辺大隈守様お屋鋪これあり候。その後、上り地に相成り、貞享三寅年お賄組屋鋪に相渡り申し候。
  • 町内総家数257軒 但し、地主十軒、地借り八軒、店借り227軒、自身番屋二ヶ所、板橋一ヵ所、石橋一ヵ所。
  • 旧家 家持 平助。古来より当所に居住仕り、居宅地面の義は、沽券これなく、草々より所持仕り来り候。
  • 稲荷社 間口1間、奥行き九尺 但し、神体画像にて瘡守稲荷と相唱え、谷中大中寺の写しにて町内持ちに御座候。
  • 豊島郡麻布領
  • 町内総反別屋敷一町五反八畝十三歩。うち九反二畝十九歩が御代官所、六反九畝二四歩が天徳寺領、四反三歩が大養寺領。
との事。その他に拝領町屋敷が2ヶ所あり町の北側は貞喜屋敷、西側北角は宗英屋敷と呼ばれた。


○里俗の字名−新道・藪下

○現在の宮村町会管轄区域とほぼ同義









○麻布宮村町の坂
狸坂
狐坂(大隅坂)
・宮村坂
内田坂
玄碩坂
・さくら坂





○麻布宮村町の寺社










○麻布宮村町会










○名所・旧跡
渡辺大隅守綱貞屋敷
高野長英の隠棲宅
芳川伯家婦人心中
・後藤新平居宅
岡本綺堂の仮寓
川端康成の下宿
東京統制無線中継所(TRC)跡
・南山小学校
六本木高校
山水舎ラムネ工場
天井桟敷館




○宮村町と湧水
   
宮村町周辺の湧水地
宮村町周辺の湧水地












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